Saturday, March 13, 2010

小暮あかね
今を生きる 五木寛之 PHP
五木は、戦後の日本は、プラス思考という旗印を掲げて走ってきた。マイナス気分を省みず、ひたすら躁の時代を生きてきた。
と、言っています。私はその時代を生きてきました。今はハワイに住んでいるので、POSITIVEに生きようとする人をたくさん見ています。
勿論愚痴ばかり言って居るよりは、前向きに自分を立て直して生きていくほうが自分も周りの人も快適だと、思います。
唯、時々、本音を聞けないような気がする時があって残念にも思います。例えば、私の息子は、友人には、自分の辛い事や悲しい事や嫌だった事を決して言わないといいます。聞いた友人が嫌でしょうといっていました。言うとしたら、終わってしまった事を、後であの時は実はこうだったんだと、言う具合に言うそうです。息子は本当にたくさんの友人が小さい時から居ます。中高一貫の私立に行きましたので、6年間同じ仲間とすごしましたし、6年間バスケット部もはいっていました。大学もたった100人しか居ない学部に行きましたし、就職も、大学付属病院ですから、本当に親兄弟よりも長い時間を友人と過ごしています。それでもそういう息子を見て、不思議でした。私は、悲観論者とは、悲しむばかりの人ではないと、思いますしNEGATIVE,とは、悪い事ばかりではないと思いますが、どうも良い響きではありません。五木が 凍河 という本の中で、悲しむ事が出来なくなった人たち、それは人間としてとても危険な事ではないかと思う。悲しむ事が出来ないのは心が凍っているから。人はそんな風に生きてはならない。と、言っています。私は悲しい時には悲しい、辛い時には辛いと、言ってしまいますので、少し嬉しくなりました。私は二人の子供を始め沢山の人に勉強を教えてきました。娘が、悲観的だからこそ、出来なかったときのことを考えて色々と用意したり、いろいろなハプニングに備えるから、何回も難しい試験をパスする事が出来たんだと思うと、いつか言っていました。何とかなるだろうとは、娘も私も思わないからです。家族なのに、まったく生き方が違う息子と、私と娘です。私は今、残りの人生を、どう生きていこうかと考えています。テニスと勉強を通じて、生徒さんに夢を与えて生きたいというのが私の信条ですが、自分自身の事も今自分と向き合いながら考えています。今この時を大切に生きていこうと、18歳の時から思っています。特に膝の関節炎の手術後、失われた自分の機能が、切実にそう私に思わせてくれます。今この時を十分考えて自分のやりたい事をやって生きて、反省はしないといけませんが、決して後で後悔はしないで、最後まで、自分らしく生きて行こうと思います。

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